陸前高田に行ってみて

3月11日を迎えました。
この1年、幸いにしてあまり地震の影響を受けずに過ごせました。
節電を少し言われた位で、後はほとんど影響を受けなかったと言ってもいいと思います。
しかし、そんなレベルでは済まない地域が多々あったことは確かで
僕は少しそういう地域が気になって、実際に行ってみることにしました。

先に言っておきますが、別に悲しみを共有しようとか、そういう文章ではないです。
多分、実際見た感覚というのは重要だと思ったので、そのまま記録しようと思っただけです。
次に、文章の論理構成がむちゃくちゃです。
ただ思いつくままに書きなぐっているので。
それから、被災者の迷惑になるんじゃないかとか色々考えましたが、
少し時間が経ったら、東北に金を落とそうと思ったこともあり、行ってみることにしました。

2月29日、僕は、飛行機を使って仙台空港に降り立ちました。
この場所も当時凄い被害をうけていて、実際僕と同じ大学の方が何名か亡くなっています。
にしては、綺麗でした。重ねて言いますが綺麗でした。
あの時ほんとに人が死んだのか、というのが疑問なくらいでした。
実際、仙台駅周辺では、バスの路線や時刻が変更されていたり、工事してる場所がある等
何箇所か地震の被害を感じさせるものがあるものの、未曾有の大災害が起きた
という痕跡は、消えつつあるように感じました。
仙台は普通に観光可能でした。
青葉城にも行きましたし、美味い飯も食えて、言う事無しでした。

さて、問題の陸前高田です。
陸前高田には3月1日に仙台から日帰りで行ってきました。
未曾有の災害に会った場所ですが、現在はわりと簡単に行くことができます。
宮城交通と岩手交通が運行している、日中の長距離バスというのがあり
仙台と陸前高田を4000円で往復することができます。
朝、仙台を出発し、途中気仙沼を通り、陸前高田に行くルートです。
バスに乗って、出発したわけですが、気仙沼につくまでは、ほんと田舎道を走っているだけな感じでした。
ほんとに地震にあったのか疑問なレベルで、なんだ、こんな感じなら大丈夫じゃないかと思っていました。
実際、気仙沼市内にはいってもそんな状況はかわらず、気仙沼の駅前のバス停に停まった時も
なんだ、こんな被害だったのかとおもったのですが
地震の爪痕が残っていたのは、この先で、気仙沼の駅を少し海側に降りると
未だに津波でぼろっぼろの家が残っていたりしました。
そして、海岸沿いに出ると、それこそ、本当に日本なのかよくわからない光景が広がってました。
空爆でもされたのかというくらいぼろぼろな家、打ち揚げられた船等々
震災からほぼ一年がたつのに、未だに片付いていない場所が多々あるということを思い知らされました。
で、気仙沼を抜けて陸前高田についたのですが
はっきりいって拍子抜けしました。
なにもないのです。「災害っぽい」という意味では気仙沼の方が酷いくらいでした。
前日に雪が降ったこともあり、雪に覆われていた部分が多かったのですが、
本当になにもなかったです。
町が存在したということがまるで信じられませんでした。
このあたり一帯田んぼですと言われたら、そのまま信じてしまうくらいに。
いろんなところで奇跡の一本松というのが話題になったと思いますが
あれ、2km先から視認できるくらい、周りに何もないのです。
あるのは瓦礫でできた山だけ。
どうも陸前高田気仙沼から先の大船渡へ行く、交通の要所になっているらしく
県道はわりと交通量がありました。
しかしそれ以外何もない。
一人で、陸前高田をとぼとぼ歩いていたのですが
その時に思ったことは、さみしいと感じました。
死者への弔いの気持ちとか、そう言うなのより先に、さみしいと感じました。
人が住んでた場所が、一瞬で吹っ飛ぶと、ここまでさみしい風景になるのかと感じました。
で、件の奇跡の一本松まで歩いて、手を合わせて、それだけで帰ってきてしまいました。
もっとなんかなかったのか?と聞かれても、答え辛いです。本当に何もなかったので。

言っておかなくてはならない話があって、これは陸前高田の海側の話です。
同じ陸前高田でも、丘を登った部分は津波の被害も小さく(といっても地震に被害は大きいですが)
今も普通にたくさんの方が暮らしていらっしゃいます。
そこに住んでいる学生さん(多分中学生かと…)が笑っているのを見た時
なんだかあったかいな、と感じました、海側を見ていて、さみしいと思った気持ちが和らいでいくのを本当に実感しました。
人って一人では生きられないわ、という謎の感想を得ました。
多分、陸前高田に行って、一番感じたのはこれだと思う。
人は一人ではさみしくて生きていられません。

なんだかよくわからない文章になりましたが、行った僕もよくわかりません。
けど、人のいない陸前高田の海側を見て、無性にさみしいと思ったことだけは確かです。
願わくば(そして現地の人が願うなら)、あの何もなくなった土地に
もう一度人が戻って、賑やかに暮らす日がもう一度来ることを、と思います。
そのために自分が何ができるかは、もうちょっと考えてみたいと思いました。

おわり